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【呂布伝3】武力と野心と頼りなさと

 

 

 

 

人物評

 

 

 

呂布は正史本伝においても「飛将と呼ばれ、その桁外れの武力を恐れられていた」とあります。つまり、その武勇だけを見ればほぼ間違いなく三国志でも無双、あるいはそれに非常に近しい存在でしょう。

 

しかし……うーん、この何とも締まらない経歴の数々。ぶっちゃけますと、お調子者で微妙にヘタレっぽい。

 

 

神のごとき武勇とそれに噛み合わない人物像や欠点が、呂布という人物に趣を与え、後世でも非常に高い人気を博している原因なのかもしれません。

 

 

さて、そんな呂布を陳寿はこのように評しています。

 

 

吠え猛る虎のような武勇の持ち主。しかし英雄たり得る才略は無く、軽佻にして狡猾で裏切りを繰り返し、自分の利益しか眼中になかった。こんな奴が成功したためしがない。

 

 

 

つまるところ、武勇は文句なしだけど群雄としての資質や人格は色々終わっていたと……。

 

他の人たちの評価も、まあ表現は違えど似たり寄ったりで、群雄として歩んでいく野心と自身の器量が噛み合わずに半ば自滅していった人物として取り上げられていますね。

 

 

丁原、董卓劉備らを裏切ってその命や勢力を奪い、曹操を滅亡寸前に追いやったり袁紹とは反りが合わず殺されかけたり……実際に波乱のきっかけは自分の行動であることも多く、巡り巡って自分の首を絞めてしまう事に繋がったので、こういった酷評を受けるのもやむなしといったところ。

 

 

しかし英雄としての実力や人格の善悪はともかく……呂布の人物像はなかなか趣のある、例えば袁術辺りと似通った妙な魅力を放っているのもまた事実。

 

というわけで、呂布の性格がわかりそうなエピソードをいくつか拾ってみましょう。

 

 

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小策士・呂布

 

 

 

『英雄記』では、董卓軍大将の胡軫(コシン)と揉め事になったときの話が掲載されています。

 

胡軫は武勇に優れるものの短気で傲慢という割とどうしようもない性格をしており、部下との信頼関係も壊滅。当然呂布も、胡軫の事を嫌っているという有り様でした。

 

 

初平2年(191)、勇猛で知られる孫堅が近くに迫っているという報告を受け、胡軫軍は出撃。この時も、「要するにたかだか太守一人を黙らせればいいのだろう?」という孫堅の実力を度外視した発言により部下に顰蹙を買っており、ついにここで不仲が形になってしまったのです。

 

軍は日暮れまで進んで疲労状態、「いったん休んでから再び進軍するように」という董卓からの命令通りに野営の準備をしようかという時、呂布始め武将たちは邪念を抱きました。

 

 

――胡軫の作戦行動が失敗すればいいのに。

 

 

そう考えた結果、呂布らは作戦を完全に大コケさせることにしました。

 

 

孫堅軍はすでに逃走している、今追わなければ取り逃がしてしまうぞ」

 

 

当然、この情報は大嘘。胡軫はこの嘘の情報を信じて休息をとらず夜陰に紛れて進軍し、そのまま孫堅が拠っている陽人(ヨウジン)に到着。

 

しかし報告と違って敵軍はしっかりとした守備体制をとっており、不意打ちも効果がないのは見て明らかだったのです。

 

おまけに胡軫軍は疲労困憊で使い物にならない状態。そこで胡軫は兵の武装を解いて休ませてやることにしましたが、ここで再び呂布が動きます。

 

 

孫堅軍が攻めてきたぞ!」

 

 

結論から言うとこれは大嘘だったのですが、臨戦態勢の整っていない胡軫軍は大混乱でその場を離れ、1時撤退。敵が1人もいないのを確認した時には、すでに武器防具を置いて大きく後退した後でした。

 

 

結局その後武具を取りに戻って再び孫堅軍を攻めようとするも有効打に欠け、撤退後に孫堅軍から反攻を受けて華雄(カユウ)が戦死するなどの大打撃を受けたのです。

 

 

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意外とヘタレ?

 

 

 

圧倒的武勇の影響もあって剛毅な印象の強い呂布ですが……散見される記述を見ると、意外と胆力はそこまででもなかったのかもしれません。

 

 

まず、董卓を裏切った動機について。これについては呂布伝本伝において、2つ動機があります。

 

 

1.董卓の癇癪に付き合わされて鬱憤が溜まっていた

 

2.董卓の侍女と密かに不倫関係を築いており、発覚するのを恐れて内心ビビっていた

 

 

相手はあの董卓なので、まあビビッて内心ビクビクするのは仕方ない事です。

 

しかしそうであっても、あの天下の呂布が内心ビクついている姿は、想像するとなかなかにインパクトがありますね。

 

 

 

他にも野心家である陳宮の出撃策を却下して籠城を選択したり、曹操自身が間近に迫った時もさっそく曹操を「殿」と呼びどう見ても降る気満々だったり(『献帝春秋』での一幕)、意外とコメディリリーフとしての才覚も持っているのではないかなと個人的には思っていたりいなかったり。

 

 

 

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ただし身内には……

 

 

 

とまあこんな感じで割とどうしようもない人として書かれる呂布ですが、実は身内には(エコヒイキも激しいものの)結構甘い一面も持っています。

 

 

例えば、先ほどちらっとでてきた陳宮。彼は呂布の配下についたもののその器量には辟易しており、袁術と結んで配下の裏切りを扇動するなど、明らかにアンチ呂布な行動に出ています。

 

が、呂布はそんな陳宮の裏切りが明るみになっても「重臣だから」という理由でそれを不問にしています。

 

将軍としては落第点な行動でしょうが、別の武将が同じことをすればもしかしたら美談となっていたかもしれない1面ですね。

 

 

 

当然、家族に対する愛も本物だったようで、妻の厳氏(ゲンシ)に関しては、(裏目に出たものの)彼女の意見を取り入れて作戦行動を取った事も……。

 

 

 

そして、そんな呂布の身内への甘さを1番しっかり見て取れるのは、意外にも劉備との関係性なのです。

 

劉備を裏切って下邳を奪い取った呂布ですが、この行為は本人的には裏切りでなく、どうやら別の考えがあったようで……その後劉備袁術に責められた際には、部下の反対を押し切ってまで劉備の元へ駆けつけ、袁術軍との停戦までこぎつけています。

 

 

もっとも、そんな劉備の窮地を招いたのは他ならぬ呂布自身の裏切りなのですが……もしかしたら、劉備を「弟分」と認めていたからこその救援だったのかもしれません。

 

ちなみに裏切った際にも劉備の妻子はしっかりと保護しており、もしかしたら「兄より領地の多い弟とはけしからん」とか、そういうしょーもない理由もあって劉備襲撃を行ったのではとも考えられますね。

 

 

そう考えると、曹操呂布の処刑を勧めた劉備に対する「こいつが一番信用ならない」という発言も、どこか深い意味を帯びてくるような気がします……

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