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裴松之先生の陸遜評について考えてみる

 

 

 

 

裴松之(ハイショウシ)、字を世期(セイキ)。元々三国志は起きた事実のみを淡々と語る、良くも悪くも無駄のない史書でしたが、それを細かく肉付けし、昨今まで続く三国志熱の発端ともいえる物へと仕立て上げた人物です。

 

 

……と、賈詡(カク)評にケチつける時と同じ前置きはほどほどに……

 

 

 

今回は裴松之から特に嫌われていたと言われる、陸遜(リクソン)の評について。

 

 

陸遜と言えば、孫呉を代表する重臣中の重臣で、孫呉においても有数の功績を上げた人物ですね。

 

その権威たるや主君の孫権にも迫るものというか下手すりゃほぼ同等で、身分功績共に呉の大黒柱ともいえる存在ですが、裴松之先生からは非常に手厳しい評価を受けた人物です。

 

 

今回は、そんな陸遜評について、少し見ていきましょう。

 

 

 

 

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裴松之評はだいたいこんな感じ

 

 

 

 

裴松之が嫌いな人間を扱き下ろす際には、その行為から人格まで妄想想定し、その人物の人間性をダイレクトに全否定することが多いです。

 

例えば賈詡に関しては「あんな奴はくっそショボくて汚らしいおがらの光に過ぎん」だとか、于禁(ウキン)には「友達を法の下に捌くとか、どーせあいつは心の汚いサイコパスだよ」とか……若干意訳気味ではありますが、ニュアンスとしてはだいたいこんな感じですね。

 

 

……が、陸遜評における裴松之の批判は、個人的にはちょっと属性が違うような気がします。

 

 

というのも、人格批判と言えばまあ言ってることは人格批判なのですが、どうにもこんな感じで妄想に妄想を重ね掛けしたりダイレクトにこき下ろすのではなく、事実を元に批難している感じといいましょうか。

 

 

 

裴松之が陸遜を徹底的にこき下ろしているのは、嘉禾5年(236)に、荊州の襄陽(ジョウヨウ)攻略の帰りに、ついでとばかりに石陽(セキヨウ)を始め複数の街を襲撃したことに対してのコメント。

 

 

この一件のあらすじを述べると、陸遜は撤退の途中で敵軍の都市にある市場を攻撃。慌てた敵軍が民衆を切り捨ててでも門を閉じて防戦体制に入ったため、取り残された兵士や捕虜を数千獲得。

 

陸遜は捕らえた民たちに危害を加えることを全軍に禁じ、手厚く保護したうえで解散させるというマッチポンプ善行です。

 

これによって陸遜の名声はうなぎ上りで、近隣の敵対的な住民たちはどんどん陸遜に帰順していきましたとさ……と、こんな感じですね。

 

 

これに対して裴松之は、以下のようにコメントしています。

 

 

普通に撤退することもできたのにわざわざ敵の都市を攻撃とな。魏軍に損害を与えるほどの事でもなく、ただ無辜の民を犠牲にしただけ。

 

これは孫の代で滅ぶのも納得ですわ。

 

要するに、わざわざ鳥が巣を構えている木を切り倒し、それで生き残った雛を育ててやったことを自慢してるだけ。マッチポンプやん(笑)

 

 

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離間策に対しても……

 

 

 

その直後、陸遜はしばしば国境沿いを荒らしていた敵前線都市の太守に対して離間策をかけています。

 

その方法というのが、非常に評判の良かった前任太守の息子との仲間割れ。元々前太守の子とギクシャクしていた現太守の逯式(ロクシキ)なる人物に、以下のような手紙を書いて送り付けたのです。

 

 

「寝返りの約束ありがとうございます。すぐに陛下に報告の上で準備をいたしますので、寝返り結構の日時を教えてくださいますようお願いします」

 

 

当然、逯式にとっては一切身に覚えのない話。

 

しかし逯式はこれによって一気に精神的に不安定になり、本国に妻子を人質として送り返すなどして必死に潔白をアピール。その情けない姿に呆れかえった兵士の心は離れてしまい、そう時間のたたないうちに逯式は太守の任を解任されて本国に帰っていきました。

 

 

 

……とまあ、こんないかにも乱世の謀略といった話ですが、石陽襲撃で火が付いた裴松之はここでも止まらず以下のように口火を切っています。

 

 

 

逯式はこんな手を使ってまで貶める必要があるほどの危険人物だったのか?

 

つーか国境接してる場所の太守なんだから、国を荒らすのは日常茶飯事やん。

 

 

わざわざこんな卑怯で卑しい手段に頼って小賢しい詐術を繰り広げるとか、どうかしてるぜ。

 

 

 

さらに付け加えるように、「以下に偉大な陳寿(チンジュ)先生の言う事だといっても、ここに関しては賛同できない」と断言しており、陸遜をとことん嫌っている様子が伺えます。

 

 

 

 

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裴松之は陸遜が嫌い?

 

 

 

 

個人的見解としては、逯式なる人物は記述がこれだけで何ともコメントしがたいですが……帰りに前線の街を襲撃して捕虜を得るというのは、確かに私としても疑問に思うところはあります。

 

相変わらずの毒舌ぶりにちょっと笑いが出てきそうではありますが……まあ、おおよそ現代の価値観ではいろいろと引いてしまう行動ですね。

 

 

……しかし、陸遜の性格は、史書を見る限り「自分が最良だと思った事以外はやらない」というものではとも考えられ、何か理由があったのではと思えても来ます。

 

 

 

なんと言っても、陸遜は自力でどうにかなる力を持つ味方はどれほど窮地にあっても助けようとしませんし、国を傾けてでも自分が正しいと思った事しか言わない←

 

 

 

そんな人が、余計な思い付きだけで後先考えずに街を攻めるなど、正直考えられないのも事実なのです。

 

 

 

 

……というか、裴松之も嫌いな人間の事になったら普段見えてる物も見えてない。

 

その辺考えると、もしかして冷静な人物眼を損なってしまっているのかも、とも思えないでもありませんね。

 

 

 

よくよく考えると裴松之はどちらかというと蜀に思い入れのある人物のようで、さらに彼の時代では関羽をマンセーする声も盛んになり始めていたそうですし、その辺も陸遜嫌いの要因になっているのかもしれませんね。

 

陸遜扱き下ろす際も諸葛亮との比較とかもしてますし、呂蒙と共に蜀に仇なしたこと、そして諸葛亮と能力も近しく扱いもほぼ同等であることなどから、もしかしたら裴松之の「嫌い」センサーに引っかかったのかもしれません。

 

 

 

……あれ、呂蒙って叩かれてなくね?

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