【諸葛亮伝4】神格化が進む人物像


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【諸葛亮伝4】神格化が進む人物像

 

 

 

 

 

歴史家も絶賛の天才官僚

 

 

 

諸葛亮は万能の天才である。この評価は随分と昔から定着しており、誰かが彼の能力のどこか1点にでもケチをつけようものなら、すぐに別の誰かが反論し褒め称える……という流れがもはや定番になっています。

 

 

日本でもだいたい似たような感じですね。

 

慎重安定、信賞必罰、合理主義と、日本人が望む指導者としては理想ともいえる人物であり、崇拝の対象になるのも非常によくわかります。

 

 

 

さて、そんな諸葛亮の歴史家評ですが……まず、三国志の編纂者・陳寿の評から見てみましょう。

 

 

丞相になると民衆をよく慰撫し、踏むべき道をしっかりと照らし、また政策においても時代に合ったものを選択して公正な政治を執り行った。
善行は相手が仇のどんなに小さなことであろうと褒め、悪行は身内のどんなに小さなことでも罰する信賞必罰の人で、罪に服していても反省すればゆるし、適当な言い抜けやごまかしをする者は死刑に処した。

 

物事は根源をただして発言と事実が一致するかをしっかり調べ、嘘偽りは一切歯牙にかけなかった。

 

 

そのため、皆は諸葛亮を恐れつつも敬愛し、政治の何たるかを熟知した天下の良才であった。

 

 

つまり、信賞必罰で政治をよく知るスーパー官僚だった……ということですね。

 

他の歴史家たちからの評価でも、この公平性と政治能力に関しては、少なくともマイナス評価をぶつけている人はまずいないでしょう。

 

 

 

ちなみに官僚としての個人能力は非の打ちどころがありませんが、人事方面では意外と賛否両論だったり。

 

 

とりわけ問題になりやすいのが、馬謖と李厳の取り扱いについて。

 

例えば馬謖は、劉備に「あいつは口だけだ」と忠告されながらも、敵軍の足止めに起用。馬謖は言われたこと以上をしようとしてしまい、結果として惨敗。自軍敗北だけでなく、北伐軍全体の撤退とせっかく得た成果の放棄を余儀なくされることになりました。

 

 

そして李厳に関しても、「第四次北伐で兵糧不足に陥り退却した」と書きましたが……あれは実は李厳のせいだったのです。彼はこの時兵糧輸送の任務をしていましたが、長雨のせいで輸送が滞ったために、諸葛亮にその旨を報告して全軍撤退を決定させました。

 

……が、なぜか李厳は北伐軍が帰ってきたのを驚いたフリをして、撤退の全責任を諸葛亮に転嫁。

 

結局裁判で諸葛亮が全やり取りを証拠に持ち出したため、最終的に李厳が失脚することになりましたが……なんともドロドロした話ですね。

 

 

この辺りは蜀の人材不足や名士同士のドロドロがあるという説もありますが……受け手の考え方に大きく依存しますね。

 

 

 

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諸葛亮の軍才

 

 

 

さて、話題になりやすいのは一方の軍才について。

 

まず、陳寿からはこんな感じの評価がなされていますね。

 

 

思うに、臨機応変の軍略は苦手だったのではないだろうか?

 

 

要するに、実際に兵を動かして戦う際には、定石だけでなくその場その場で動いていく状況にタイプするのが肝要。諸葛亮の場合、その状況への変化について行くのが、いまひとつ得意ではなかったのではないか……というのが陳寿の意見ですね。

 

 

これに対しては……まさに後世の評は賛否両論といったところ。多くの書籍でこの評に同意する意見がある一方、

 

 

・「弱小国の蜀が大国の魏に勝つのは無理だから、とりあえずリスクの少ない手段をとるしかなかったんじゃないかな?」

 

・「バカでクソな主君(劉禅)のせいで保守的な作戦に路線変更しただけだし?」

 

・「大義の戦でコスっからい奇策なんぞに頼るとかするわけないじゃん(笑)」

 

 

などと、「なるほど」と思える真面目な状況考察から笑えてくるような感情論まで(!?)、擁護論もよりどりみどりといったところ。

 

中には「どうせ陳寿の親父は諸葛亮に罰せられた罪人なんだろ! だから恨んでんだろ!?」といういささかアレな陳寿本人への批判もあり、諸葛亮は万能な否かという点においては、なかなかに議論が熱中しています。

 

 

昨今でも諸葛亮の才幹においては、どちらかを唱えれば異を唱える人間が出てくるくらいにぎやかな話題です。

 

 

というか儒教関連の人からの評価がものすごく高いのな。

 

 

 

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何だかんだ、陳寿評が的を射てる気がする

 

 

 

個人的考察をすれば、これですね。

 

 

諸葛亮は天才的な官僚で、政治や組織作り、そして富国強兵への筋道立ては三国でも屈指の上手さだった。これはまず間違いないでしょう。論ずる余地もないと思われます。

 

 

問題の部分は軍才について。

 

 

陳寿評から個人的な解釈を入れますと、諸葛亮は少なくとも、軍才に関しては苦手意識を持っていたのではと思われます。

 

「自分は臨機応変の策は苦手だ。だったら、前準備と緻密な作戦、そして基本に則った手堅い戦術で確実に行こう」

 

おおよそ、諸葛亮の胸中はこんな感じだったのではないでしょうか?

 

 

諸葛亮の行動を見ていると、すべてにおいてそつがないと言いますか、一点に特化してとがらせるのではなく、極力丸く隙が無い戦い方をしようとしていたように見受けられます。

 

 

だからこそ蜀という国は敗北して滅ぶことも無ければ、逆に勝利を得ることもできなかった。

 

 

良くも悪くも堅実で安定性を重視した、バランスのいい作戦を重要視していた……というのが、諸葛亮の最も優れた部分であり弱点でもあったのではないでしょうか。

 

 

 

前もって立てた作戦も完璧。以前に露呈した弱点もしっかり補強。あらかじめ仲間を誘って多方面作戦を相手に押し付けつつ、手堅く有利な地形に陣を敷く。すべてが兵法の定石としては理想形態です。

 

ですが、定石の上での理想というだけで、そこに自身の持ち味も尖らせた部分も無かった。

 

 

そんな穴も無ければ得意もない、まさにオーソドックスな意味で理想の戦術は、諸葛亮が自信の無さを定石と前準備で埋め合わせた結果なのではないかと思えるのです。

 

 

だからこそ、正攻法には強かった。司馬懿が仕掛けてきた局地戦では圧勝することが出来ましたし、追撃してきた魏軍はすべて打ち破り、果ては張郃のような大物まで討ち取ることができました。

 

 

 

 

しかし、そもそも北伐という行為自体が無謀を通り越した危険行為そのもの。

 

どう贔屓目に見ても無茶でしかない戦いに勝つには、やはり曹真や司馬懿のような化け物同然の強敵相手に、何かしらの奇策を実行しようとする……そんなある種の頭の悪さも必要だったのかもしれません。

 

 

 

自分の弱点をわかっていたからこそ、自分の才覚ではなく定石や前準備だけを信用する。結果として、予定通りに進んでいる間は無敵だが、ひとたび予想外の事態に陥るとどうすることもできなくなる。

 

 

諸葛亮は、ある意味では頭が良すぎたのが欠点だったのかもしれませんね。

 

 

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