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曹操と孫子兵法

 

 

 

 

曹操と言えば、時代を超越した英傑、乱世の奸雄にして治世の能臣、はたまたその逆……とまあ様々な評価をされる人物ですが、いずれも「非凡である」という点においては、どの人物、どの文献でもだいたい同一の評価を得ています。

 

三国志好きのみならず、少しだけでもこの時代の知識があれば、すぐに誰かわかるほどの大人物ですね。

 

 

さて、そんな曹操、実は大の「孫子ファン」としても知られています。

 

 

 

というのも、

 

世に出回っている孫子は、彼の注釈を元に、さらにいろんな人物が独自解釈を加えたもの

 

 

孫子に影響を受けてあれこれと注釈を施した人物の先駆けこそが、この曹操というわけですね。

 

 

 

そんな孫子大好きの曹操、戦争においてもめっぽう強く、当時用兵の達人として名が知られていた劉備をして「曹操自身が来たら勝てない」と言わしめるほどだったと言われています。

 

さて、そんな天才用兵家・曹操の生涯の勝率…………

 

 

 

なんと驚異の約80%とまで言われています。

 

 

そもそもどこぞの馬の骨とも知れない雑魚群雄から、それも自前の兵力は最初の戦いで董卓軍にボコボコにされてからのマイナススタートを考えれば、もはや並の群雄ではとても相手にならないレベルの戦上手であるとわかります。

 

 

 

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曹操の得意戦術は「疾風怒濤の奇襲戦」

 

 

孫子には、以下の言葉があります。

 

「戦いは正を以て合っし、奇を以て勝つ」

 

 

どういうことかというと、「戦争は正攻法でぶつかり、奇襲や奇策で勝つ」。つまり、奇襲は奇策は用意こそするものですが、正攻法でぶつかることで、奇襲奇策による勝利をより万全にする。あるいは、正攻法で敵と対峙し、勝てるタイミングで奇襲を炸裂させる。

 

早い話が、正攻法は通常攻撃、奇襲は条件さえ整えば発動できる必殺技のようなものですね。

 

 

そしてもう一つ。

 

「勝ち易(やす)きに勝つ」

 

これは文字通りですね。「一番勝てそうなタイミングで勝ちを拾う」。歴戦の名将は、神がかり的な軍略による奇跡的大勝利を好みません。基本的に、「誰でも勝てる」と言えるような状況で勝負に出るのを良しとします。

 

 

曹操の戦い方も、おおよそこんな感じだったようです。

 

「正攻法で耐えしのぎながら勝てるタイミングを見計らい、ここぞというタイミングで勢いよく飛び出して疾風怒濤の奇襲で勝負を決める」。

 

 

 

この戦い方が如実にでたのが、有名な官渡の戦いだったのではと思います。

 

相手は数で圧倒的に勝る袁紹(エンショウ)軍。しかも総大将の袁紹は英雄としてはめっぽう強く、正攻法ではさしもの曹操にも、とても勝ち目があるものではありませんでした。

 

前哨戦でこそ顔良、文醜という袁紹軍の大将格を討ち取って圧倒しますが、袁紹本人が出てくると曹操軍はじりじりと後退し、本陣である官渡に追いつめられます。その上苦し紛れの決戦にも敗北し、あと一歩で壊滅という事態に陥ってしまったのです。

 

勝ちに乗り、全軍で官渡城を攻め立てる袁紹軍。誰もが、この戦いでは袁紹の勝利を予見したとすら言われています。

 

しかしこの時、奇跡的にも許攸(キョユウ)という人物が曹操軍に投降してきます。

 

許攸は意地の汚い性格で、犯罪を犯した家族が逮捕されたのをきっかけに袁紹軍を離反。戦争に必要な物資をそろえた兵糧庫の場所という情報を手土産に、曹操へと自分を売り込みに来たのです。

 

許攸の下卑た人格を知る部下たちはこの情報を嘘であると思い二の足を踏む中、当の曹操は一部参謀の同意を得るとすぐに出陣。許攸の情報通り、兵糧庫へ自ら奇襲部隊を進めます。

 

そして結局、この行動により兵糧庫は陥落。事態を察した袁紹が派遣した軽装の救援部隊も蹴散らし、ついには袁紹軍に大勝。生涯の窮地を乗り切ったのです。

 

 

まさに「奇襲による勝利」、「勝てると見れば即座に勝ちに行く」という姿勢が、大英雄・袁紹の圧倒的大軍を打ち破った決め手と言えるでしょう。

 

 

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大軍指揮にもなると……

 

 

さて、そんな天才兵法家・曹操にも、苦手とする戦いがあります。自ら奇襲を仕掛けるという手段が使えない、大軍を率いての大合戦です。

 

 

例えば赤壁の戦いでは呉の大都督・周瑜に手ひどい敗北を喫しましたし、漢中をかけた劉備との決戦では、ひたすら防戦に専念する劉備を相手に攻めあぐねて退却、この戦いも落としています。

 

そしてこちらは負け戦ではありませんが、涼州の軍閥との決戦においても、大将である馬超自らの突撃を前にあわやというシーンもありました。

 

 

人には得意不得意があるとは言いますが、あの天才曹操にもこんな弱点があったんですね……

 

 

 

 

曹操と孫子兵法

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