【曹爽伝1】時の権力者・曹爽


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【曹爽伝1】時の権力者・曹爽

 

 

 

 

さわやかさん台頭

 

 

 

曹爽は若い頃は謹厳実直で重厚という雰囲気から有能感があふれ出ており、明帝・曹叡(ソウエイ)からも、彼が帝位に就く前から寵愛を受けていました。

 

 

当然、曹叡の即位と共に曹爽にも相応の地位が与えられます。まずは散騎侍郎(サンキジロウ:尚書の上奏代行役)から入り、それから見る間に出世していき、最終的には武衛将軍(ブエイショウグン)にまでなりました。

 

この寵愛ぶりは他の家臣と溝を開けるほどの大きな物であり、この時の曹爽はとにかく大きな期待を背負っていたと言ってもよいでしょう。

 

 

そして、曹叡が病床に伏して命数が尽きようかという時、曹爽は期待の証として、なんと大将軍(ダイショウグン)に昇進。さらには多大な軍権を託され、司馬懿と共に魏の国を支えるようにと言い渡されたのです。

 

 

 

こうして曹叡が崩御すると、次の帝である曹芳(ソウホウ)の代には侍中(ジチュウ:皇帝に近侍する顧問役)の位と武安侯(ブアンコウ)の爵位、食邑1万2千戸という破格の待遇で時代を任されました。

 

さらには決まりの厳しかった皇室内で剣を持って靴を履いたまま、小走りでなくともよく、なおかつ参内時に実名を伏せたまま通されるという大きな特権もつけられました。

 

とにかく、曹爽はこれによって魏という国の第一人者になり、無くてはならない存在にまで上り詰めたのです。

 

 

 

しかしその陰では、曹叡が生前「名声ばかりで中身がない」と遠ざけていた人材を自分の膝元に呼び戻すなど、暗躍を図っていた形跡も……

 

 

 

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さわやかさんは司馬懿が怖い

 

 

 

さて、こうして魏でも皇帝を除けば第一という大権を手にした曹爽でしたが、そんな曹爽にも怖いと思える人物が一人いました。

 

曹操の代から仕える功臣・司馬懿です。

 

 

司馬懿は公績、名声共に曹爽よりも遥かに大きな存在で、曹爽も彼には頭が上がらず、父に対するように彼に仕えていました。

 

 

しかし、曹爽の権力が絶頂に上り詰めるとそれも一変。何晏(カアン)ら登用した群臣はみな曹爽をヨイショし、「他派閥に権限を与えるのはまずいですぞ」と進言。

 

これを真に受けて曹爽は政権を自らの派閥で独占し、もっとも厄介な司馬懿を名誉職に追いやることでその力を削ぎ落すようになっていきました。

 

こうして自分の元に政治的案件が来なくなった司馬懿は、危険を感じて政権の中央から撤退。病気と称して引きこもるようになります。

 

 

 

こうして最大の敵である司馬懿を貶めることに成功した曹爽一派は、その後も何晏らが中心となって政敵に次々と罪を消せて排除。そのやり口は、彼らの部下の失態を拾い上げ、印綬を没収して上奏手段を奪ったうえで罪に落とすものだったとされています。

 

 

また、曹爽自身もまるで皇帝であるかのような振る舞いを見せ、家には珍品や大勢の妻や愛人を置いたとされています。

 

 

これには弟の曹羲(ソウギ)もまずいとおもったのか「いずれ破滅を招きます」と警告したものの、曹爽自身は不快がるだけで聞く耳を持たなかった……という話も正史に載せられています。

 

 

『魏末伝』には、ここでボケ老人を演じる司馬懿の姿が書かれています。

 

というのも、曹爽派で荊州に赴任することになった李勝(リショウ)という人が、曹爽の命令で偵察を兼ねた挨拶に向かったときの事。

 

 

司馬懿は李勝に挨拶をすると、小間使いに持ってこさせた服を取り落とし、その後運ばれてきた粥を食べられずにすべて胸の辺りのこぼしてしまったのです。

 

 

そして李勝が荊州へ向かう旨を説明すると、司馬懿は間延びしたような声で「幷州ですか。あの地は異民族に接する危険な土地ゆえ、上手くやりなされ」と、あえて聞き違ったふりをしました。

 

すかさず李勝が訂正しても、司馬懿はあくまで幷州と聞き間違ったふりをしたまま。

 

さらにダメ押しとばかりに、「私の命はもう長くない。これが今生の別れとなるでしょう。どうか息子をよろしく頼みます」と付け加えたのです。

 

 

司馬懿の演技を完全に信じ込んだ李勝は、いたたまれなさから涙を流しながら曹爽に報告。こうして司馬懿は再起不能であると皆が思い込み、油断してしまったというわけですね。

 

 

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軍事的才能も父とはまるで似つかず……

 

 

 

さて、そんな政治独占をしている傍らで、曹爽には常に気がかりとなる部分がありました。

 

それが、派閥に属する人材の、実績の無さです。

 

 

特に魏は有能な人間が多く、司馬懿を始め大きな功績を上げている人物も大勢います。そんな中で、そろそろ周りを黙らせるほどの実績が欲しいと思っていたわけですね。

 

曹爽はこの問題を解決するため、諸葛亮(ショカツリョウ)亡き後その勢いを落としていた蜀に目をつけたのです。

 

 

そして正始5年(244)、蜀軍本隊が前線基地の漢中(カンチュウ)を離れ一時撤退。これを好機と見た曹爽は、政敵・司馬懿からの制止も聞かず、自らの実績を得るために大軍を率いて総攻撃を開始したのです。

 

 

しかし結果は、峻嶮な土地を利用した蜀軍の迎撃に完全に阻まれ、さらに補給路も土地の険しさのせいでまともに機能せずといったところ。

 

結局もたついているうちに、蜀軍本隊が到着。万全な体制を敷いた敵軍と対峙する羽目になってしまったのです。

 

 

郭淮(カクワイ)や司馬昭(シバショウ)らの活躍によって被害の拡大はなんとか防げましたが、結果は惨敗といったところ。

 

曹爽ははじめ実績欲しさに撤退の進言を退けてはいましたが、最終的にはどうにもならなくなり撤退。結局痛手を負っただけに終わり、このせいで曹爽の威信は大きく削がれてしまう結果となったのでした。

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