【華歆伝2】善人か悪人か
人物評
華歆の人物評はキッパリと善悪で白黒別れてしまっており、その点を見てもなかなか面白いと言えます。
悪評に関しては後で述べるとして……まずは正史の華歆評を見てみましょう。
陳寿は、彼の事を以下のように評しています。
華歆は純潔で徳性を備えており、鍾繇、王朗と並んで一代の英傑であった。
金銭欲も薄く家には財宝がなかったともありますし、手放しに賞賛しても良い人物としてその名を連ねているわけですね。
実際に正史三国志には「賜った女奴隷をすべて解放し、嫁に出してやった」という話もあり、曹丕もその姿勢を絶賛しています。
その一方で現実主義者としての一面も兼ね備えており、「魏書」では以下のように性格を記されています。
緻密にして用意周到。人々が帝に上奏する際は、それとない諫言と道理に合致する発言を好んだ。
またある時では「人事ではその人の徳性を見るべきで、勉学は軽くしてやるべきだ」という意見に対して反対、「それを採用してしまえば、学問は廃れてしまう。法を敷くには学問は必須だ」と強固に述べていたりもします。
本人が学者でもあるので、これは単にその立場から言っただけにも思えるけど
とにもかくにも、華歆は能力、人格共に格式の高い人物。というのが、正史三国志での評ですね。
しかし、世の中には「華歆が人格者などとんでもない。こいつはロクでもない腐れ外道だ!」という声も大きく(むしろこっちが多数派?)、華歆の人物像に大きな影を落としています。
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華歆腐れ悪党説
そもそも、なぜ華歆が悪人だったのか。その答えは、魏の前身である漢王朝にあります。
というのも、魏の初代皇帝である曹丕は、漢王朝から禅譲を受けて帝の座を譲られたわけですが……この時、漢の朝廷は曹丕に帝の位を譲るように工作を受けており、そのありようは半ば簒奪に近いものだったと揶揄されています。
この時に帝位禅譲の簒奪劇に大きくかかわった群臣の一人が、この華歆。彼は禅譲の儀式の立会人として、その儀式の場を自身の手で設けたのです。
当時の中国からすれば、帝は神にも等しい存在であり、その帝が治める国は自分にとって絶対の忠誠を向けるべき存在。国号が変わるというのは、つまり絶対に侵してはいけない神秘の極みにある物を土足で踏み荒らすのと道義なのです。
それに悠々と止めを刺した人物が華歆であるかと、非常に強く憎まれているわけですね。
そしてもう一つ、恐らく一番大きな悪事と言えるものがあります。
というのも、華歆はあろうことか皇后の身柄を拘束し、その死の要因ともなったことがあるのです。
もともと漢王朝の重臣や血縁者はその立場ゆえにプライドも高く、曹操に保護されて以来漢王朝の力を利用しているような様子を見せる曹操に怒りを覚えていました。
その結果幾度か曹操暗殺の計画を立て、その都度曹操に見破られていたのです。
建安5年(200)には帝の妾の一族すらも暗殺計画に参加しており、その参加者は一族郎党、その妾も含め曹操に処刑されてしまいました。
「後漢書」によれば、この事で曹操を危険視した皇后は、密かに曹操の排除を計画していたのです。
この計画は結局立ち消えとなったのですが、後にこの一件が発覚。皇后は身柄を拘束されて曹操の元に引っ立てられ、曹操によって幽閉された……というもの。
この時、皇后の身柄を拘束したのが華歆その人だと、後漢書では記されているのです。
ちなみに史書によっては、必死に隠れた皇后を引っ張り出しただのその時に髪を引っ張っていっただのと色々書かれています。しかもこの話、後漢書が書かれる前からもいろいろと話のネタにされており、壁を力づくでぶち抜いたなどとなかなかアレな内容だったり……
冷静に考えると自分を殺そうという危険分子を放置しておく方がアレなのですが……まあ、とにかく当時の価値観では「神聖で絶対正義の朝廷にこんな事考え付かせる方が悪い」というのが常識だったわけですね。
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華歆の人物像
というわけで、なんか善行も悪行もオーバーなイメージがマシマシの華歆大先生ですが……
正直、どちらもオーバーなイメージがありますね。
というのも、歴史書というのは結構なクセモノで、好きな人物は功績を水増しや捏造し、嫌いな人物は悪行を捏造したり水増しするものです。
そのため、華歆のしでかした悪行……特に皇后拘束の件に関しては、特に怪しい所。というか史書によって記述がブレブレでよくわかりません。
対して、華歆がいい人として書かれているものも……これまた怪しい。華歆の子孫はかなりの名家であり、その孫が史書を書いています。陳寿も裴松之も華歆を絶賛していますが、少なからず彼の子孫の圧力があったものではなかろうかと「華歆悪人説」を力説する人たちは語っているのです。
というかほぼ確定事実として声高に叫んでいる
ともあれ、いわゆる内閣総理大臣を務めあげた大物である以上、好き嫌い双方の評価は常人のそれより極端になってきます。
で、個人的に想像する実像はというと……正史による謎の猛プッシュは、やはり華歆の子孫の圧力があったと疑う必要もあるでしょう。
しかし、かと言って多くの人が絡んでいる不敬事件の実行犯を安直に極悪非道と罵るのも、また単純すぎるように思えます。
史書に描かれていることがすべて事実とは思えませんが、やはり、あの諸葛亮すら絶望した人材大国である魏の大臣です。ある程度正史の絶賛された姿に近しくないと勤まるはずのない役職であるのは、まず間違いありません。
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