【賈詡伝1】ザ・サバイバルin西部


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【賈詡伝1】ザ・サバイバルin西部

 

 

 

 

 

 

西涼のサバイバル策士

 

 

 

天才策士・賈詡の若かりし日は日の目を見ることもなく、誰も彼を評価することはありませんでした。しかしそんな中、閻忠(エンチュウ)と言う人だけは、賈詡を「古の天才軍師に匹敵する」と高い評価をくだしていました。

 

そんな彼もいつしかとうとう儒教の人格者のみが受けられる推薦枠・孝廉に選ばれて役人となったのですが、折悪くも病気にかかりそのまま引退。

 

 

結局まったく振るわないまま、賈詡は西方の故郷への帰路に就きますが……ここで大変なことが起こってしまいました。なんと漢に反乱を起こしていた氐族(テイゾク)の一派とたまたま遭遇。賈詡と行動を共にしていた同行者数十人と一緒にそのまま囚われてしまったのです。

 

 

この異民族の反乱組織に次々と殺されていく同行者たち。結局この同行者たちは皆殺しにされましたが、その中で賈詡だけは難を逃れたと言われています。

 

 

というのも、賈詡はこの異民族の面々に対し、当時異民族の間で畏怖されていた段熲(ダンケイ)と言う人の親族を自称。

 

当然、詐称のハッタリだったのですが……これが氐族の面々には効果覿面。賈詡の発言を信じた氐族は、彼を殺すのを取りやめ、逆に丁重に扱って賈詡だけを送り返したのです。

 

 

命の危機に瀕してこの冷静さ。これが賈詡が優れた策士である所以なのですね。

 

 

 

 

その後どこからか董卓(トウタク)に仕えたようで、彼が洛陽に入って実権を握ると太尉掾(タイイノエン:太尉の属官?)のまま平津都尉(ヘイシントイ)となり、さらに討虜校尉(トウリョコウイ)へと栄転しています。

 

校尉と言えば数千単位の兵を指揮する高級武官ですが……賈詡はどうにも、董卓からの心証はかなり良かったようですね。

 

 

 

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泥沼サバイバル

 

 

 

賈詡はそれからしばらく董卓の娘婿である牛輔(ギュウホ)の軍にいましたが、そんな中董卓が暗殺され、さらには牛輔までもが殺されてしまったのです。

 

 

さらには董卓死後の長安では董卓暗殺を企てた王允(オウイン)らを中心に「涼州の軍兵は蛮族!涼州人は皆殺しだ!」という気も高まっており、進むも退くもままならない始末。

 

 

そんな中、董卓軍残党の李傕(リカク)、郭汜(カクシ)、張済(チョウサイ)らは危険を感じて、軍を解散し故郷へ帰ろうとします。

 

 

が、賈詡はそんな彼らを呼び止めて、ある提案をします。

 

 

「このまま単独で逃げ帰っても、各個にひっ捕らえられ、処刑されるだけです。それならば、処刑活動におびえる兵士たちを先々で集め、長安を占拠しましょう。

 

上手くいけば天子様を奉戴し、天下に号令するのがよし。逃げるにしても、この策が失敗してからでも遅くはありますまい」

 

 

 

賈詡のこの言葉を聞き、李傕らは覚悟を決めて長安を攻撃。なんと、そのまま長安を攻め落とし天子を奉戴、さらには反涼州を掲げていた名士らの一網打尽に成功したのです。

 

長安攻略に成功した功績により、賈詡は左馮翊(サヒョウヨク:長安一帯の官吏の管轄)の地位に就任。李傕らは賈詡を命の恩人として、さらに爵位を与えて侯に封じようとしましたが、当の賈詡はこれを辞退。曰く、「生き延びるために計略であって、たたえられる類のものではありません」とのこと。

 

 

ならばと尚書僕射(ショウショボクヤ:官吏の考課、文書の開封や金銭・穀物の受納を取り仕切る事務官。尚書台の副長官)の地位を与えようとしますが、これも「私にその仕事を行えるだけの名声はありません。さすがに勤まらない職に就くのはちょっと……」とまたもや辞退。

 

 

 

 

結局は尚書(ショウショ)として官吏選抜という役どころに落ち着きましたが、どうにもこの辺りから李傕らとの仲もぎくしゃくし始めた様子で、本伝では「賈詡を信任しつつも内心恐れていた」とあります。

 

もっとも、『魏書』では涼州閥の面々が衝突しかけた時に仲裁をして、間を取り持ったとあり、本当にどこまで疑念を抱いていたかはわかりませんが……

 

 

ともあれ、こうして賈詡と涼州軍閥の面々の関係が冷えていったある時、賈詡の母親が病没。そのため賈詡は喪のために官職を辞し、光禄大夫(コウロクタイフ:顧問応対の仕事だが、ほとんど名誉職)を拝命し、李傕らの元を去ることになりました。

 

しかし後に、これまで賈詡のとりなしで仲間割れせずにすんでいた李傕と郭汜の仲がついに決裂。戦力を欲する李傕は賈詡に宣義将軍(センギショウグン)の地位を与え、復帰を請う始末。

 

 

後に李傕らはなんとか和解することになりましたが、そんなサバイバルな環境にいては大変だという事で、帝は長安からの脱出を決意、そのまま逃げてしまいました。

 

『献帝紀』によると、この時李傕が脱出する帝の軍を追撃。そのまま打ち破り、捕らえた大臣らを処刑しようとしたそうです。が、ここで賈詡が、「この者らは天子様の大事な家臣です」と諫めたことで李傕はようやく思いとどまり、大臣らの命が救われたとあります。

 

 

 

さて、こうして帝を助けた賈詡でしたが、これにより長安にいることもできなくなり、新たな君主を探すことにします。

 

 

この時、賈詡が目を付けたのが、同郷出身者の段煨(ダンワイ)。

 

しかし段煨は表向きは賈詡を丁重にもてなしながらも裏ではその力を怖がっており、「いつか俺の立場が奪われる」と思っていたとか何とかで。

 

 

このため賈詡の方も不安になり、また別の主君を探すことに。そこで賈詡が探り当てたのが、今後自身の魂の主君の一人となる張繍(チョウシュウ)だったのです。

 

 

 

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張繍の頼れる策士

 

 

 

さて、こうして張繍という新たな主を担ぐ決意をした賈詡は、とうとう段煨の元を離れることにしました。

 

そんな折、ある人物が「あんなに厚遇されてたのに、どうして?」と不思議そうに賈詡に質問しました。その問いに対する賈詡の答えが、以下の通り。

 

 

「確かに今は厚遇されていますが、同時に段煨は私を警戒しています。そんな状況下であれば主従関係は長く続きませんし、遠からず私は命を狙われるでしょう。

 

私がこのまま立ち去れば段煨としてもうれしい事でしょうし、私がいつか強力な支援者を後ろ盾にすることを予測して、置いて行った妻子をしっかりと厚遇してくれるはず。

 

対し、張繍は知者が足りておらず、私を必要としているはずです。私も温かく迎えられ、妻子の身も安泰というならば、こうしない手はないでしょう」

 

 

 

こうして賈詡が本当に張繍の元に鞍替えすると、張繍は賈詡を心から遇し、段煨も賈詡の残した妻子の世話をしっかりするようになりました。まさしく、賈詡の予言通りの結果となったのです。

 

 

さて、こうして張繍軍に身を寄せた賈詡は、まず付近の群雄である劉表(リュウヒョウ)との同盟を提案、無事にこれを締結。

 

 

『傅子』では賈詡自らが同盟のために劉表と会い、さらには「猜疑心が強く洞察力と決断力がない。平時なら大身になれただろうが、乱世では何もできないだろう」と予見したとか何とかとありますが、真相はいかほどか……。

 

 

さて、その後曹操(ソウソウ)によって張繍征伐の軍が展開され、後の魏の国主となる曹操と開戦することになりました。

 

 

 

さて、曹操と一戦を交えていたある時、対峙していた曹操軍は突如として撤退しました。

 

この動きに対して賈詡は「追撃してはなりません」と制止しますが、張繍はすぐさま曹操軍を追撃、手痛い敗北を喫してしまいました。

 

 

こうして大敗北を喫した張繍軍でしたが、賈詡は負けて戻ってきた張繍に驚きの献策をします。

 

 

 

「もう一度、今すぐ曹操軍を追撃しましょう」

 

 

 

「何故?」と眉をひそめる張繍でしたが、賈詡は「戦いは変幻自在です」と返答。そこで張繍がもう一度攻撃したところ、今度は一転して大勝利を得たのです。

 

 

後に改めて張繍が「どうしてか勝てたのか」を質問すると、賈詡から帰ってきた答えは以下の通りのものでした。

 

 

「将軍は戦上手でおられますが、曹操はその上を行きます。撤退の折、曹操は自ら指揮を執るそうな。そこで、将軍が最初に攻めた際は曹操自身の采配で撤退が行われていたに違いありません。

 

しかし将軍は一度敗北し、それによって曹操自身は撤退していきました。おそらく今回の陣払いも、国内で何かあってのことでしょう。

 

そこで私は、曹操がいなくなった敵軍の攻撃を、将軍に献策したのです」

 

 

 

つまるところ、曹操の撤退の真意を予見し、さらに張繍が敗北したことで曹操不在を見抜き、その上で勝てると踏んだというわけですね。自他の将器や敵の状況を看破した策、これが賈詡の鬼謀の所以なのでしょう。張繍もこれには驚き、賈詡の才覚に心底感服したとか。

 

 

 

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そして建安2年(197)には、張繍共々曹操に降伏。しかし張繍の叔父の妻を曹操が溺愛し、さらには張繍を暗殺しようという動きを見せたため、結局張繍は叛逆を決意しました。

 

ここでも賈詡は張繍のために計画を練って進言し、曹操の不意を突いて奇襲し、曹操の息子や甥、さらにはボディガードの典韋(テンイ)らを討ち取るなど窮地に追いやることに成功します。が、ここで曹操を逃がしてしまったことで、以後も対曹操の戦線が続くことになります。

 

 

 

さて、ここから曹操は勢いを盛り返して張繍軍を幾度も攻撃してきますが、張繍はその都度撃退に成功します。

 

 

が、そうこうしている間に、曹操は北の袁紹(エンショウ)との衝突が裂けられなくなり、両者の関係は緊迫状態に。そんな折に、袁紹は味方を増やすべく、張繍にも自身に味方するよう使者をおくってきました。

 

 

当然、ここまで反曹操の動きを示していた張繍は袁紹について行こうとしますが、なんと賈詡はこの使者を追い返し、袁紹との仲を決裂させてしまいます。

 

 

「じゃあ誰に頼ればいいのか」

 

 

頼れる軍師に生存の道を潰された張繍は途方にくれますが……ここで賈詡が導き出した張繍の同盟相手は、なんと怨敵ともいえる曹操だったのです。

 

 

 

曰く、「袁紹は強大で、正直味方にありがたみなんて持っていないから冷遇されるでしょう。しかし曹操袁紹と比べて勢力は小さく、非力です。だからこそ味方を必要としており、その傘下に加わるならば非常に喜ばれるでしょう」とのこと。

 

 

袁紹とは決裂し、後ろ盾の劉表も袁紹派。他にどうすることもできなくなった張繍は、賈詡の予言通り再び曹操に降伏。

 

すると曹操は、一転して大喜び。張繍と賈詡の手をそれぞれとって喜びを表し、賈詡を執金吾(シッキンゴ:都の警備の元締め)にし、張繍も将軍職が与えられたうえ娘を曹操の息子に嫁がせるなど一族に迎えられるなど、破格の待遇を得たのです。

 

 

 

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メイン参考文献:ちくま文庫 正史 三国志 2巻

 

 

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