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【董卓伝3】本音と野心に生きた人柄

 

 

 

 

董卓の人物評

 

 

・野心を隠す気も無い

 

・儒教などクソ食らえ

 

 

 

とまあこんな価値観の持ち主だったのは本伝を見ても明らかなようで、どこまでが史実かは不明なものの、董卓の破壊と専横は留まるところを知りませんでした。

 

当時の漢帝国は、儒教を最重要視し、上下関係と礼儀、そして清廉さが特に求められる時代。董卓のようなギラついた野心の持ち主とはとことん相容れず、そのため必要以上に悪く書かれてしまうのも道理のように思えます。

 

極めつけは、正史にも以下の評をあてがわれています。

 

 

 

捻くれ者で残忍横暴な、歴史上でも類を見ない非道な人物だった。

 

 

 

 

しかし、一方で彼の人格を表すこんな記述もあります。

 

 

若かりし日、董卓は戦功として絹を大量に賜ったが、それらをすべて部下に分け与えてしまった。

 

一説には、この時「手柄を立てたのはわしだが、実際に動いたのは兵どもよ。ならば恩賞は兵どもの物であると言ってもよかろう」等と言い放ったともあり、一概に強欲で「自分だけが良ければそれでいい」という人物ではなかったことが伺えますね。

 

 

 

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董卓の武勇

 

 

 

 

董卓はでっぷりとした肥満体だったようで、とても運動ができるようには見えませんが……やはり辺境の涼州出身。武芸はかなり達者だったようです。

 

 

類まれな腕力を有しており、弓袋を二つひっさげ、馬を疾走させて左右から矢を射ることができた。

 

 

つまり、騎馬民族との隣接地らしく、弓馬の扱いにはかなり長けていた模様。いわゆる動けるデブ?

 

 

 

また、戦争が弱いから雑魚という評価もしばしばありますが……この辺は気まぐれな董卓のやる気次第といった部分が大きいように思えます。

 

自分の利害や直属の配下が絡まない戦いでは極端に弱いものの、ひとたび利害に直接影響を及ぼす状況になれば、途端にとんでもない爆発力を発揮する……みたいな。

 

 

まあやる気によってかなりのムラがあるのはアレかもしれませんが……やはり戦争における能力は名将と呼べる条件を十分に満たしているのではないでしょうか?

 

 

 

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何故暴虐に至ったのか……

 

 

 

当然、元々その気配と野心があったのは事実です。……が、董卓ははじめからいきなり強権を握って一気に政治を独占しようとしたわけではないのでは、と個人的には思う部分があります。

 

 

というのも、最初のうちは家格の高い名士らを高官に当てて、漢室の政治体制を整えようとしていた節が見えるのです。

 

 

他にも、自分の元から逃げ去った袁紹(エンショウ)をそのまま渤海(ボッカイ)の太守に任命する、名士層の言う事を聞いて、その推薦通りに人事を行うなど、少なくとも最初のうちは言う事を聞いておこうという様子が見えますね。

 

 

……が、そんな「従順なしもべ」になり切っていた董卓には、いくつか誤算がありました。

 

 

それが、自分が「蛮族」と蔑まれている異民族との混血で辺境田舎の涼州の出身、「こんな奴が天下を握るとかありえない」と考える名士層が多数だったこと。そして、これまで見せてきた野心の片鱗を、既に嗅ぎつけてしまった者も複数いたことです。

 

 

慣れないことをしているうちは、どうしても不満を抱きやすいのが人間です。

 

「ちゃんとしていたのにこの仕打ちかよ!」

 

と、そう思った董卓は、信任していた名士を斬殺。そして、ここからは「裏切り者しかいない」とばかりに殻に閉じこもっていったのかもしれません。

 

 

野心を否定する「儒教精神」と家柄や出身地を重視する「漢民族至上主義」は、董卓の予想をはるかに超えて浸透しており、それが董卓による野心を阻んだ……と、そういう見方もできそうです。

 

また、董卓も「扱いはゴミ同然の涼州出身」という自分の立場にコンプレックスを抱いており、それがモロに足かせになったことで何かが爆発した可能性も否めません。

 

 

結果、董卓はそこから逆らう者に容赦がなくなっていき、さらには焦土作戦による都からの撤退や本拠近くの長安への遷都、さらには自身の本拠地での巨大城郭の建造や極端な数の食糧、宝物の備蓄につながったのかもしれませんね。

 

 

 

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董卓の限界

 

 

 

 

武勇、そして直属配下をまとめ上げる統率力、さらには周囲を欺く狡猾さ。董卓の能力は、政治などを除くほぼすべてにおいて標準以上と見てよいでしょう。

 

 

まさに乱世にこそ輝く群雄。彼のような人間によって、既存事実の破壊と見直しがなされ、常識が覆されて時代が革新に一歩向かうと言っても過言ではありません。

 

 

 

……が、やはり、私の個人的な考えでは、董卓の限界は一介の群雄に過ぎなかったのではと思っています。

 

 

というのも、ダダ洩れの欲望と野心は、やはり忠誠と礼儀の儒教世界では受けが悪いですし、董卓はそのあたりを見落としていたと見て取れる部分が大きいです。

 

その上、家柄が最優先される時代において、異民族の血が入っているかもしれない辺境の豪族に生まれたのも董卓にとっては逆風です。

 

 

辺境と同じくゴミ扱いが当然とされる宦官の出でありながら天下に雄飛した曹操辺りと比べると、やはり董卓の地盤は弱く、そして隠しきれない野心からボロが出たあたり劣って見えてしまうのが実情。

 

 

 

董卓はどちらかというと一地方の英雄にして狡猾精強な群雄といったイメージに収まってしまい、天下を股に掛けた世界的英雄という人間ではないのかもしれません。

 

 

董卓が重視したのは、あくまで野心と自身の地元。英雄としてやっていく能力は十二分にあれど、その巨大すぎる力量と大望に、他ならぬ自分のスケールがついて行かなかったイメージがあります。

 

 

だからこそ、家柄を馬鹿にされたことがバネとして機能せず、最後は人望を掴み切れず疑心暗鬼に陥り、器を超えた能力と天下への渇望によって自滅の道を進む結果になってしまったのではないかと思ってしまうのです。

 

 

まあ、所詮は主観の戯言ですが……董卓の限界は、雍涼2州を股に掛けた、巨大勢力の英雄ぐらいが妥当だったのではないかと。

 

どちらにせよ、天下など素知らぬ顔で、群雄の争いを傍観しつつ勢力拡大を狙うのが、董卓個人の末路を考えると正解だったのかもしれませんね。

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