郭淮


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【郭淮伝2】西方の強者

 

 

 

 

西方の総大将

 

 

 

これだけ撃退しても蜀軍は懲りることなく、正始8年(248)には再び北伐。今度も、魏に反感を持つ異民族を複数部族抱きこんで戦争を仕掛けてきます。

 

この時は、郭淮は先に異民族を先に討伐する事に決定。「川の上流から攻める」という偽情報を流し、その後ろの下流から部隊を派遣するという声東撃西の策を以って彼らを撃破し、さらに別方面で城攻めに失敗して撤退中の敵軍も追撃。

 

その帰りにも要衝を抑える異民族部隊をついでに撃破してみせたのです。何これ無双?

 

 

こうして背後を盤石にしたのち、敗走した異民族を受け入れている蜀軍の砦を即座に攻撃。西方に跋扈する反魏勢力と連絡を取っている姜維を引きずり出し、両者の連携を断って北伐を失敗に終わらせました。

 

 

そんな活躍を見せた郭淮は、すぐさま都郷侯(トキョウコウ)の爵位を拝領し、翌年には征西将軍・雍涼州都督諸軍事(ヨウリョウシュウトトクショグンジ:西方戦線の軍事司令官)に昇進。さらにこの年には敵将の句安(コウアン)らを降伏に追い込みます。

 

 

こうして30年余りにわたり蜀と戦い続けた郭淮は、嘉平2年(250)、詔勅によってその功績を大いに認められ、車騎将軍(シャキショウグン)に任命され、陽曲侯(ヨウキョクコウ)に爵位も昇進。正真正銘、対西方戦線の最高司令官として認められたのです。

 

 

その後に郭淮は前線指揮ではなく後方に移動。史書にも記述がなく、おそらく陳泰(チンタイ)をはじめ次代の将軍らに後を託したのでしょう。

 

 

正元2年(255)、郭淮は病没。貞侯と諡され、大将軍の地位を追号されました。

 

 

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驚異的な難局打開者

 

 

 

蜀の北伐への対応は、常に反乱や異民族の侵攻も同時に対処する必要がある多方面作戦を強いられていました。

 

一方の相手をするだけでも、相手はあの諸葛亮姜維。凡将ではとても太刀打ちできず、時折敗退を喫しながらも一歩も退かずに彼らと渡り合った郭淮は、まさに西方における守護神と言っても偽りない人物なのではないでしょうか。

 

 

陳寿の評によれば、彼の評価は以下の通り。

 

 

方略に精通しており、泰州・雍州において名声を流した。

 

 

特に戦場における読みや策略は凄まじく、それを賞賛しての言葉ですね。

 

精強な異民族との戦いや姜維との戦術合戦でも常に郭淮はリードしており、彼に危く後れを取りかけたのも、鄧艾(トウガイ)伝で偽退却にだまされたのか西方の羌族に目を向けようとしたときくらいのもの。

 

 

郭淮の戦績がバッタリ途絶えてからは、姜維は徐質(ジョシツ)を討ち取ったり王経(オウケイ)をボコボコに敗走させたりと快進撃が続くのですが……逆を言えば、それだけの将軍が郭淮の前には手も足も出なかった証左でもあります。

 

 

 

しかし、そんな郭淮も人間関係でポカをやらかしてしまった事があり、夏侯覇(カコウハ)の亡命の一要因が彼との不仲にあったとか。後に夏侯覇は蜀の主力武将として姜維と共に北伐に出たのを考えると、隙の無い知将・郭淮の数少ない失敗のひとつに入るかもしれませんね。

 

 

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郭淮の妻

 

 

 

嘉平3年(251)、魏の将である王凌(オウリョウ)が司馬懿に対して謀反を目論み、それがバレて服毒自殺するという事件が発生しました。

 

司馬懿はこれに対し、王凌の一族を処刑するように周囲に伝達。当然ながら、彼の一族は断絶してしまいました。

 

 

さて、『世語』によれば、郭淮の妻はこの王凌の妹。血筋でいえば彼女も処刑の対象であり、王凌に連座して逮捕、そのまま護送されていってしまったのです。

 

 

郭淮は妻の逮捕に対して、はじめはあきらめて周囲の「止めなければ」という意見を退けていましたが、息子や周囲の部下たちがみんな頭を下げて郭淮に妻を取り返すよう促しているのを見てようやく決意。側近に命じて数千騎で妻を追い、数日で取り返すことに成功しました。

 

 

その後、郭淮は司馬懿に対して、敵対行動でないことをアピールするため書状を送り届けます。

 

「我が息子5人が母の命乞いをしており、命を賭ける心づもりでおります。彼女を見捨てるという事は、則ち我が子5人すべてを見捨てると同義。それゆえに、今回は妻を連れ戻した次第です。もし法律に抵触するならば、私は罰を受ける所存です」

 

 

西方の軍事を司る郭淮がこれで投獄でもされては、それこそ大問題。司馬懿は結局郭淮を許し、妻の連座や郭淮の行動は無かったことにされたのでした。

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