三国志の基本を知れば、楽しめる……かも


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三国志の武器は地味? 当時の装備に迫る!

 

 

 

三国志と言えば、いろんな武器が登場しますよね。

 

関羽の青龍偃月刀、張飛の蛇矛、呂布の方天画戟……。

 

 

でも、それって当時は存在していなかったんです。

 

 

今回するのはそんな話。三国志の英傑たちは、いったいどんな武器を使っていたのでしょうか?

 

 

 

 

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青龍偃月刀は、実はのちの時代の武器

 

 

正式な銘は冷艶鋸(れいえんきょ)。三国志演義では関羽の相棒ともいえる大薙刀ですね。

 

重さは八十二斤(50kg弱)というとんでもない代物。しかも馬上で振り回すのを考慮して、刃の部分が長かったとされています。

 

 

とても普通の人が持てる物ではなさげですが、これを軽々と振り回し、幾多の猛将を倒してきているのだからすごいですよね。

 

 

しかしこの武器、史書に登場したのは宋の時代以降で、しかも重すぎて実践投入された事績は少なく、もっぱら儀式用の武器として作られたとされています。

 

 

 

そして関羽の弟である張飛が担いだとされる蛇矛。こいつも一丈八尺(4.4mほど)の長さで刃が蛇のようにうねっており、このウネウネの刃が殺傷力を強めていたとされていますが……この武器が出たのははるか未来の明の時代。ここまでくると、三国志よりも現代のほうが近い時代ですね。

 

 

ついでに言えば、三国志最強・人中の呂布と称された呂布の持つ方天画戟に至っては、史書に登場しないとされています。
一応、この武器の元になった方天戟は、宋の時代からちょくちょく見るようにはなっていますが……。

 

西洋には方天画戟と近い形状のハルバードなる武器があり、非常に扱いが難しかったとか。
もしかしたら、あえて扱いの難しい武器を呂布に持たせることで彼の強さを引き立てたかったのかもしれませんね。

 

 

 

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じゃあ三国志の武器ってどんなのがあるんですか?

 

さて、では三国時代の武器は果たしてショボかったのか? というと、これもまた違うというのが正直なところ。

 

 

実は当時の中国では製鉄の技術がとんでもなく高度な域に達していて、一説には中世のヨーロッパとも互角に戦える近接武器が作られていたそうな。

 

 

そのため、長い棒に刃物を付けた矛、横方面にも殺傷力を持った戟、刺突特化の槍、一撃の重さを重視した大刀など、バリエーションはなかなかの物。

 

 

 

とはいえ、そこはやはり古代の技術。

 

切れ味を求めすぎると脆くなりがちで、とても戦場では使えなかったそう。

 

 

そこで、丈夫さを出すために切れ味を犠牲にし、「重さで強引にへし斬る」とか、「思いっきりド突く」みたいな使い方がメインとなっていたのです。

 

 

なんだかほとんど打撃武器みたいな使い方……。こう考えると、戦場が余計にむごく思えてきてしまいますね……

 

 

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