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さて、こっからちょっと駆け足。
曹操・孫策の台頭
さて、董卓の一連の動きにより本格化した群雄割拠の時代ですが、主には袁紹(エンショウ)と、その弟袁術(エンジュツ)の派閥による争いという体をなしていました。
そんな中、三国志の真の主役ともいわれる人物・曹操(ソウソウ)は、袁紹の派閥の一員として戦いに臨みました。
曹操は袁紹の下で着々と力をつけていき、黄巾の乱から続いていた大規模な反乱軍を苦戦の末鎮圧し味方に加えたり、さらには敵の盟主である袁術が攻めてきた際に大打撃を与えて撃退したりと、大いに活躍しました。
その後も親友の裏切りや、董卓の養子であった呂布による本拠地の乗っ取りなどの危機こそありましたが、最後にはこれらをすべて押し返し、勢力を次々と拡大させています。
そして、董卓が滅亡したのちもその部下の制圧下にあった漢帝国の皇帝を救出し、とうとう天下に覇を唱える群雄の一人にまでなりあがったのです。
一方、反董卓軍において多大な戦果を挙げた孫堅は、その後は袁術派に属し、袁紹の傘下についた勢力を攻めますが、不幸にも流れ矢に当たって戦死(他にも岩に押しつぶされたなど諸説あり)、袁術にその勢力を吸収されます。
こうして孫堅の勢力はこのまま袁術の部下に収まるかに思われましたが、孫堅の長男である孫策(ソンサク)は袁術から兵を借り受け、中央から離れた南の地を攻撃。そのままそこの領主たちを打ち破り、独自の勢力を手に入れました。その後は袁術から完全に独立したのです。
それからも破竹の勢いで領土を伸ばしていく孫策でしたが、後に曹操に敵対。その勢力に攻め入ろうかという矢先に、刺客に襲われ、26歳という若さで亡くなってしまったのです。
そんな孫策の跡を継いだのが、彼の弟であり、後に呉の国を建てることになる孫権(ソンケン)でした。
曹操、天下に王手をかけるが……
さて、漢帝国のという大義名分を手に入れた曹操は、ここにきて袁紹から独立。天下取りに身を乗り出します。
呂布や袁術、そして三国志で主役に挙げられる劉備(リュウビ)らを打ち破ったのち、ついに元の盟主である袁紹と対峙。圧倒的な戦力差と袁紹自身の優れた手腕に大苦戦を強いられますが、何とか打ち破り(官渡の戦い)、その後袁紹が病死。
官渡から7年という多大な時間をかけることになりましたが、袁紹の勢力を完全に掌握。
中央都市から北はほとんどすべて曹操の領地となり、一躍して最も天下に近い勢力までのし上がったのです。
そして勢いに乗る曹操は、残った南側の勢力を制圧するため、南下を開始。手始めに、南に逃げ延びていた劉備を蹴散らし、その後南方の群雄を屈服させ、一気に長江(揚子江)周辺まで勢力を伸ばしたのです。
この時点で対抗できる勢力と言えば、中国東南部に勢力を持っていた孫権のみ。これで天下は曹操が握った……かに思えました。
しかし、部下にも降伏すべきだという声が大きい中、孫権は曹操と開戦。これが、大方の予想を裏切る結果を生んだのです。
曹操軍に疫病が流行っていたのも災いして、孫権軍の火攻めにより、曹操軍は壊滅し、曹操自身も命からがら逃走(赤壁の戦い)。
これにより、間近にあった曹操の天下は遠のき、孫権、そしてここまで 鳴りを潜めていた劉備に、流れが一気に向き始めたのです。
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